SMAPの解散日に生まれた噂とは?噂の誕生秘話(前編)

 

風間「こんにちは!エードット広報の風間です。本日は、エードットの100%子会社である《株式会社 噂》の代表である哲士さんと、デザイナーのムーポンさん(村山)に来ていただきました。よろしくお願いします!」

長谷川・ムーポン「よろしくお願いします〜。」

 

左:長谷川哲士(はせがわてつじ)CEO /右:村山辰徳(むらやまたつのり)デザイナー

噂の「はじまり」。営業会社こそクリエイティブが必要

 

風間「あのー、実は《噂》という会社があるという噂を聞いてしまったのですが」

長谷ムー「そんな噂を聞いちゃいましたか〜〜。」

 

風間「聞いちゃいました(笑)これは一体どういう会社なんですか?」

長谷川「これはですね〜、SMAPってご存知ですか?2016年の12月26日にSMAPは解散したんですけど、その日が《噂》の設立日でございます。まあ、元々12月24日とか25日とかに設立したいな〜と思ってたんですけど、その日が土日で、土日って会社は設立できないんですよ。だからその次の月曜日の26日にしたら、たまたまSMAPの解散日だった、という訳です。」

ムーポン「特に《噂》とは何も関係のない設立記念日ですね(笑)」

長谷川「元々エードットグループの社長のあっくん(伊達晃洋)と僕が島根出身で、松江東高校の同級生だったんです。その繋がりで、『てっちゃん一緒にやろう』と言ってもらって、子会社である《噂》を作ったと言う感じですね。」

 

風間「それまで哲士さんは何をされていたんですか?」

長谷川「それまでは、道端に売ってる石をパワーストーンという名前で売って…」

ムーポン「売ってないですね(笑)それまで長谷川哲士は、株式会社コピーライターっていう会社を自分でやっていました。」

長谷川「あっ、そうでしたね。株式会社カヤックに4年間いた後、2016年の1月から自分一人で株式会社コピーライターをやっていたんですけど、そのタイミングであっくんに声をかけてもらったんです。」

 

ムーポン「実はカラスの代表の牧野さん(牧野圭太)を誘ってるのも、哲士さんなんですよ。」

長谷川「そうなんですよ。元々エードットは、店頭プロモーションをメイン事業としている会社だったんです。ですがあっくんは会社を大きくしていきたかったので、『この仕事をいくら続けてもスケールしていかないな』と感じ、『これからはクリエイティブに力を入れていかないと』と思ったんです。クリエイティブっていうのは、デザイン力とか、おもしろい企画力くらいに思っといてくれたら大丈夫です。あっくんは営業センスが抜群なんですけど、自分の会社に足りないのは『クリエイティブ』の部分で、そこを強くしていかないと未来がない、そう思った時、当時、面白法人カヤックにいる僕に『なんかいい人紹介して』と声が掛かり、まっきー(牧野圭太)を紹介した、という訳なんです。」

風間「なるほど、カヤックにいた時に牧野さんを紹介した、と。そのような経緯で、今エードットには《噂》と《カラス》の二つのクリエイティブの力が備わっている訳ですね!」

 

噂の「であい」。デザイナーがいると提案しやすくなる

 

風間「そしたら、お二人の…」

ムーポン「馴れ初めね。」

風間「馴れ初めをお伺いできれば(笑)」

 

長谷川「ムーポンは、カヤックにいた時にインターンで入ってきて、3ヶ月だけ一緒に仕事をしたんですよ。それが僕たちの出会いですね。まあ、僕一人で会社をやっていたら『人を雇う』という選択肢はなかったと思うんですけど、エードットというグループ会社の一員になったことで、『人を雇う』という選択肢が初めてできたんです。僕に仕事がまったく来なくて売上0円になったとしても、《噂》の親会社であるエードット社長のあっくんがなんとかしてくれるだろうから(笑)これは村山という男を入れるチャンスだぞ、と。僕が独立した後も、ムーポンには仕事を頼むことが多かったので、これでやっと心おきなくデザインを頼めるなと思ったんです。」

ムーポン「固定給のほうが安上がりですからね。効率もいいですしね。」

長谷川「まあね(笑)ありがたいです。《株式会社 噂》ができてから1年後にムーポンに入ってもらったので、一緒にやり始めて2年くらいになりましたかね。」

 

風間「カヤックで出会う前は、それぞれどんな生き方をされていたんですか?」 

長谷川「僕はまあ、東大を出てまして。」

風間「あら、すごい。」

長谷川「東洋大学ですけどね。」

風間「えっ(笑)でも確かに東大だ(笑)」

長谷川「これがキャッチコピーですよ(笑)大学では哲学を学びました。哲士の哲は、哲学の哲ですからね。大学では最後の反抗期を迎え、就活をやらなかった結果、卒業して無職になってしまったので、最初の2年半はアルバイトで求人広告を作ってました。しかしその後、リーマンショックが起こり、どこも求人を出さなくなったので、求人広告を作る人もいらなくなって、また晴れて無職に戻ったのです。フリーランスと名乗りながら無職を満喫し、その後カヤックに入って、そこで4年。だんだんと個人の仕事が増えて来たな、と思って独立したのが2015年。僕の人生は、まあそんな感じですかね。」

 

風間「ふむふむ。ムーポンさんは?」

ムーポン「僕はですね、生まれが栃木県宇都宮市でヤンキーだったのですが、ある時、美術に目覚め、美大に入りました。ただ、僕はバンドもやっていたので、大学を卒業してからの1年間は特に就職などはせず、バンドでデビューするかデザイナーになるか、迷ってた時期があったんです。そんな時、インターンで入ったカヤックで哲士さんに出会い、一緒にお仕事するのが楽しかったので『いつか一緒に仕事がしたいな〜』と思っていたら、《噂》の哲士さんからお声が掛かってようやく合流できた、という感じです。」

 

風間「声をかけてもらった時は、やっぱり嬉しかったですか?」

ムーポン「そりゃあ嬉しかったですね。哲士さんはね、キャッチコピーが本当に大好きなんですよ。今まで僕が出会った人の中でも、一番コピーが好きなんじゃないかなっていうくらい、コピーが好きな人なんです。」

風間「うんうん。私も見ていてそんな気がします。でも良かったです。《噂》はやっぱりこの二人じゃないと。」

 

長谷川「《株式会社 噂》を立ち上げてからも僕の仕事内容は変わらず、ひたすらキャッチコピーを書いてたんです。今でこそエードットの人と一緒にやる仕事の方が多いんですけど、最初はエードットでの仕事ってあまりなくて、一緒に提案しに行っても、あまりうまくいかないことが多かったんです。でもムーポンがデザイナーとして入ってくれたことで、その流れが明らかに変わりましたね。今まではコピーの仕事しかできなかったものが、デザインとセットで、企画やコピーを提案することができるようになったし、企画やコピーを提案する時にデザインがあることでより伝わりやすくなったんです。その『デザインの偉大さ』というものを、《噂》でムーポンと一緒に仕事をするようになってから、僕は知りましたね。」

ムーポン「それは嬉しいですねえ。」

 

風間「それでは次回の後編では、《噂》のお仕事や、お二人の夢や大切にしている考え方などについて、お話ししていただきます!お楽しみに!」

 

噂の誕生秘話(後編)はコチラ

https://birdman.tokyo/journal/design/uwasa2019061402/